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Column
 
焼き鳥に命を救われた話 20090218   2021/03/09 Tue 17:54
月刊「ラバーインダストリー」
2009年4月号掲載

長らくエアラインに勤め、仕事にしろプライベートにしろ、海外に出かけることが日常生活の一部になると、その習性は会社を辞めてもなかなか抜けない。退職してから15年にもなるのに、我が家の財務状況を顧みず、ついつい軽いフットワークで海外に飛んでしまうのは、明らかにそのためだ。

私の場合ほとんどが仕事がらみ(ただし自費)で、昨年もロンドン・モナコのヨーロッパ旅行の他3回も渡米、今年も既に1月にアメリカに飛び、今週末に再びニューヨークに発ち、さらに4月にもニューヨークに行くことが決まっている。

言うまでもなく、勤めていた会社の恩恵はもう何もないので、もっぱら格安航空券を血眼になって探し、エコノミークラスでの旅行だ。

そもそも私は、旅先の楽しみもさることながら、飛行機の空間とそこで過ごす時間が好きなのだ。おいしいおつまみやにぎり寿司のたぐいを持ち込み、ブラッディメアリーを片手に本の世界に没頭。食事が終ると窮屈な席で、シートベルトをしっかり締めて爆睡するだけのことなのだが、これが何とも楽しい。乱気流の揺れさえ、私には心地よい催眠導入剤になる。

「飛行機は自動車事故より安全」という安心感があった上での快適な空の旅なので、ハドソン川への奇跡の不時着にはひやりとした。そのニュースは、オハイオ州コロンバスで知った。航空会社も出発空港も異なるが、2日前、ニューヨークから飛び立ったばかりだった。

さすがにぞっとしたのは乗員・乗客全員が死亡したコンチネンタル航空の墜落事故だ。それこそ私はコンチネンタルのマイレッジ会員で、一か月前のコロンバス旅行は、墜落機と同じ空港の同じターミナルから同じ夜9時台に同じ方向に向けて、同じボンバルディア社の小型機(プロペラじゃなかったけど)で飛び立ったからだ。

こちらの事故原因はいまだ不明だが、冷静沈着な行動で乗客全員を救った機長を一躍国民的ヒーローに押し上げたUSエアは、北米でよく見かける愛らしい鴨が原因だった。バードストライクは珍しいことではないが、今回の事故を例に挙げるまでもなく、大変危険で、多くの空港が飛来する鳥の群れの対策に頭を悩ませている。

飛行機の安全運航を妨げる、にっくき鳥たち。しかしエンジンに飛び込み、乗員乗客の命を危険に曝した自爆テロの焼き鳥くんに命を救われた人が身近にいた。

これはベテランの客室乗務員として世界の空を飛んでいた友人の実話である。USエアの事故の直後に彼女にたまたま会うことになり、そのときのことを思い出し、昔話に花が咲いた。

そのときも舞台はニューヨーク。その日、日本に向かう便に乗務予定だった彼女は、前日から体の具合が悪かった。お腹の調子が悪く、悪寒がする。風邪だろうか。日本までの十時間を超える乗務に体が耐えられるか心もとなかったが、一刻も早く日本に戻って病院に行きたい。しかしその日のフライトは満席。自分が飛ばなければグループに迷惑をかける。しかし外地では交代要員の手配も困難だ。しかたがない。機内で仕事を始めたら体調が戻るかもしれない・・・。そう思って彼女はいつもどおり仲間とクルーバスで空港に向かった。

乗客の搭乗が完了し、離陸に備えてジャンプシートに座ったころから脂汗が止まらなくなった。これはまずいことになるかもしれない。勢いよく後ろに飛んでいく景色を小さな窓から眺めながら、巡航に入ったら上司に申し出ようとようやく心に決めた。間もなく巨大なジャンボの機体がふわりと空中に浮かんだ。次の瞬間、どんという鈍い衝撃音があった。客室乗務員全員に緊張が走った。

コックピットから連絡が入る。バードストライクでエンジン一基シャットダウン。航行に支障はないが10時間を超える超大路線なので安全策を取って、JFK空港に引き返すという。安堵した途端、彼女の具合の悪さは耐えがたいものになっていた。

しかしそれからが長かった。緊急着陸になるため、航行を続けながら燃料を空中投棄して着陸に備えなければならない。意識もうろうとし始めた彼女にはそれが何時間のことにも思えた。ターンアラウンドに備えるジョン・エフ・ケネディ空港では、コックピットの連絡で彼女のために救急車も待機していた。

何事もなかったように無事に着陸した747機が到着スポットに入ると、真っ青な顔で足元もおぼつかない彼女は隊員に抱えられ、アンビュランス・カーで救急搬送された。

その後2週間ニューヨークで入院生活を送り元気を取り戻したが、一つだけ生活習慣が変わった。以来、焼き鳥が食べられなくなったのである。

「あの時、エンジンに飛び込んでくれた焼き鳥くんがいなければ、今の私はいなかったかもしれないもの」

 
逆風を乗り切る 20090420   2021/03/09 Tue 17:35
月刊「ラバーインダストリー」
2009年6月号掲載

「百年に一度」と言われる経済危機に瀕し、「働くこと」が危うくなっている。昨年秋のリーマン・ショックを震源地とする未曾有の不況は、間もなく大津波となって日本列島を呑み込んだ。

派遣切り、雇い止めが常態化し、リストラや企業倒産によって職を失う人が、廻りにも増えてきている。フリーランスで仕事をしている私も事情は同じ。ここにきて景気悪化の影響がじわじわと出てきているのを感じる。

長期的に日本社会がどうなっていくか、自分の仕事がどうなっていくか。残念ながら、今のところ、明るい展開は望めそうもない。かといって、じたばたと足掻いてみたところで事態が好転するはずがない。そうであるなら、くよくよ悩まずに、思いがけず出来た時間を有効活用するに限る。

私は15年以上もフリーランス生活を送っているが、この仕事形態には、サラリーマンと違って、常に仕事にあぶれるリスクがつきまとう。実際、私もこれまでに何度か「暇」な時期を経験してきた。「今日やるべき仕事がない」状態は、精神的にとても辛いものだ。世の中から自分が忘れられているような寂しさ、劣等感に苛まれ、かなり落ち込む。自分はこのままダメになってしまうのではないか。そんな不安に押しつぶされそうになるものだ。

今、かなり多くの人がそんな思いを抱えながら日々暮らしているのではないだろうか。しかし、落ち込んで暗くなったところで何の解決策にもならない。こういう時期は、状況を逆手にとって、「自分の裁量で自由になる時間を手に入れることができて、ラッキー!」と、前向きに発想を転換したいものだ。

その際に心の助けになるのが「暇ができたらやることリスト」だ。仕事が忙しい時に、やりたいけど時間がなくてやれないことをリストアップしておくと効果的だ。仕事に追われているときに限って、読みたい小説や見たい映画が出てきて、我慢した経験は誰にでもあると思が、そういう事柄を普段から書き留めておくといい。

そして、仕事が途絶えたら、「やりたかったことを気兼ねなくできる時間ができた」と、素直に喜ぶことが、落ち込んだ状態から立ち直る第一歩になる。私の手帳にも、家の片づけ、リサイクル品の整理から翻訳しようと思っていた本、英語の勉強、ボランティア活動、パソコン操作、友人と旧交を温める等、小さなことから大きなことまでたくさん記入されている。

それを眺めると、忙しい時にはやりたくてもやれなかったのだなということがしみじみと思い出され、それを今のうちにやっておこうと思うわけである。できればテーマはいくつかの達成可能な小さな目標にブレイクダウンするのがコツだ。そしてやり終えたことを一つ一つ定規を使って消し込んでいけば、達成感が得られるし、自分に対する信頼感を少しずつ取り戻すこともできる。

私が目下励んでいるのは、モノを捨ててすっきり暮らすこと。時間が取れるようになった今だからこそできる大プロジェクトだ。家人に弁当まで作ってあげられるようになったのも時間にゆとりが出てきたためで、喜ばれるわ、節約になるわで、家庭の平和にもつながっている。

一番恐ろしいのは、失業中の人であれば、次の仕事が見つからないのではないかと気ばかり焦って、無為に時間を浪費してしまうことだ。ハローワークに通う、人に会う等、やるべきことはやって、それでも余った時間は、次のステップアップのために使いたい。特に勉強は有効だ。英語、パソコンは、時間がある時に集中してスキルアップするに限る。もちろん資格取得や専門知識を磨くには、絶好のチャンスだ。

働き盛りの40代、50代であれば、長い人生の中で一休みできるのは、幸運なことでもある。長年体を酷使し疲労が蓄積されているだろうから、適度に運動したり、ダイエットしたり、今のタイミングで体と心をリセットできれば、成人病防止にもなるだろう。

これまで忙しくて家族を顧みることのなかったお父さんには、妻や子供たちとの絆を修復するチャンスだ。

ものごとには必ず二面性があり、逆風もよくよく考えてみればマイナスばかりではない。ポジティヴ・シンキングで、貴重な人生の時間を無駄にしないようにしたいものだ。

 
東日本大震災に寄せて 20110419   2021/02/28 Sun 09:52
月刊「ラバーインダストリー」
20011年6月号掲載

この景色、この感覚、どこかで体験している、と思った。
世界が色を失い、自分だけがガラスの壁で隔離されている。「頑張って」「応援しているよ」「成功を祈っています」 外部からの温かい励ましの言葉は、閉ざされた心には届かない。
 検診で子宮がんが見つかり、手術を終えるまで、私はそんな灰色の世界を経験した。人は生命の危機に瀕した時、多かれ少なかれ、似たような感覚に襲われるのではないか。
 私は今回の大震災の被災者ではないし、福島原発から遠く離れた東京にいる。その自分でさえ、どうしようにもない無力感・喪失感に襲われたのだから、現地の方々の苦しみ・悲しみはいかばかりかと思うと、胸が張り裂けそうになる。
 しかし揺れる大地と暴走し続ける原発への生理的恐怖は、冷静に行動し、落ち着いているつもりでも、簡単にぬぐい去ることが出来なかった。朝、目覚めて、TVをつけたら、世界が一変しているのではないか。夜中に心臓が急にバクバクし出すこともたびたびだった。
 2月から勤め始めた会社の自宅待機が解けて、目の前の仕事に没頭しているうちに、いつのまにか見えないバリアが消えて、世界は色を取り戻したけど、日本という国も、そこに住む日本人である私も、もはや3.11以前に戻ることはできない。いや、戻ってはならないのである。

 私は基本的に無神論者だが、今回の大震災には、神の手を感じずにはいられない。自然災害は、それがどんなに苛酷で無慈悲であろうと、人間はそれを乗り越える力を持っていると信じているが、人間が作り出した原発は悪魔的だ。

 いずれ日本人がこういう運命を引き受けなければいけないのだとしたら、原発を作り、その恩恵を享受した私たちの世代にそれが起きたことは、不幸中の幸いと言える。ただでさえ使用済み核燃料という負の遺産を後の世代まで延々と押しつけることになるのだから、ものすごく手痛い、途方もないレッスン料を支払ったとしても、受益者である私たちが責任を引き受け、別な選択をすることで、後世にこれ以上の過ちを押しつけることをかろうじて踏みとどまれるのだから。

 今回の大震災で揺さぶられたのは、何よりも私たちの近代的な価値観だろう。人間の生理的な本能、知見、我々のDNAに脈々と受け継がれてきた日本人の伝統的価値観が語りかけてきたことを無視してきたことが、今日の福島原発の事故に繋がったように思えてならない。

断想が縦横に走り、ゆっさゆっさとゆれる大地に、火のついたものを建てれば、倒れて家事になることは幼稚園時でもわかる。しかもその火は一度ついてしまえば消すことのできない暴れん坊だったとしたら・・・。きっと子供にもわかることは、往々にして正しいのである。

原発事故の第一報を聞いた時、その恩恵に浴してきた自分は文句を言えないと思った。しかしその気持ちは時間の経過とともに変化してきた。今の日本人が享受している豊かさは、本当に私たちが心から願い、求めたものだったのだろうか、と。

休日のないデパート、24時間営業のコンビニ、明け方まで見られるテレビ。家の中には便利な電化製品があふれ、コンセントはいくつあっても足りない。豊かな生活を送り続けるためには、ゴミ屋敷と化している多くの家庭も、内需拡大とやらでもっともっと日本人はモノを買わないといけないらしい。

限られた地球上の資源を競い合って製品にし、それを国民が一生懸命に買って消費し、大量なゴミを生む。モノに追いかけられる生活に悲鳴を上げて生まれたのが、昨今の断捨離ブームだった。

購買力をそそる品々が所狭しと並べられた煌びやかな陳列ケースの裏で、絶え間なく廃棄されていく食品や商品。みんなどこかでおかしいと思っていたはずだ。これが真の豊かさなのかと疑問を誰もが感じていたはずなのだ。

使いこなせないほどの電化製品も、ダイエットを必要とするほどの飽食も、着られないほど大量の服もやっぱりいらない。自分が生きていく上で本当に大切なものは、きっとそんなにない。

私たちが豊かさだと思っていたのは、決して自ら選択し、望んだものではなかった。ゆっさゆっさとゆれる大地は、愚かな人間に目を覚まさせるために、計り知れない数の命まで奪ったのだ。

豊かさとは、分かち合いの心。そしてともに生きていくこと。

見せかけだけの豊かさや、経済発展なしには先はないといった脅しに、もう惑わされない。それが私の美しい生まれ故郷へのせめてもの弔いだと思っている。

 
2010年3月号RI20100218   2021/01/11 Mon 19:45
改めて「仕事とは何か、幸福とは何か」を考える

昨今の不況で、音楽業界も大打撃を受け、そこでライターをやっている私にも影響が及んでいる。自分の好きなことを職業にできたことは本当に幸せなことだと思っているけど、昨今、稼ぎが目減りし自分の足で立っていくのがむずかしい状態になってきた。好きなことをやるより、食べていくこと、タックスペイヤーであり続けることが最優先事項。からだの条件が合えばどんな仕事だって厭わない。この未曽有の不況下、50歳過ぎのおばさんで、車イスの重度障害者を雇おうという奇特な会社があるとは思えないが、転職も視野に入れて、これから自分のキャリアをどう立て直していくか、真剣に考え始めた。

そんな矢先、某レコード会社のK君と取材後たまたま一緒にランチをすることになった。おいしい寿司を御馳走になって気が緩み、音楽ライターを続けたいのはやまやまだけど、今後、どうしていけばいいか悩んでいるとつい本音を漏らしてしまった。するとK君、ぼそっと「実は僕、今の仕事は2度目なんです」と言うと、自分のことを語り始めた。

彼は以前、山一証券の営業マンだった。バブルの絶頂期に入社、一度も右肩上がりを経験しないまま、入社5年目に会社は唐突に自主廃業を迎えた。米国の格付会社のレーティングが下がり、会社がかなり厳しい状況にあるのはわかっていたが、前日まで、社員はもとより、支店長クラスまで、廃業のことはまったく知らされていなかったという。金曜日の夕方、K君たちは、また来週からみんなで頑張ろうと、ポケットマネーで解禁になったばかりのボジョレーヌーボーを買い求め、社内で乾杯した。

翌朝5時、鳴りやまない電話で叩き起こされた。半分寝ボケて電話に出ると「TVを見ろ」と会社の先輩。画面は、自分の会社の「突然死」を一斉に報じていた。

日本中に激震を走らせた山一証券の自主廃業。K君は、冷静に事態を受け止めた。「こうなって、あたりまえだ」。

今も当時の仲間とたまに会って飲むことがある。仲間の多くが金融の世界に残り、同期の中には、年収5千万の女性トレーダーや、収入が二桁違う人もいる。最近では住む世界が違いすぎて、話がなかなかかみ合わないのだそうだ。K君だって、あの時代ならいくらでも金融業界に転職できただろうに。「でも、あの世界がほとほといやになっていたんです」。

営業職だった彼には厳しいノルマが課せられていた。ノルマは石にかじりついても達成しなければならない。同じ営業職の中には、精神的に追い詰められ、自ら命を絶つ者もいた。相当に怪しい、危険な商品でも、売らざるを得ない現実。無理をお願いできるのは、結局のところ信頼関係を築いたお客さんだけ。あの会社で自分が生き延びるには、自分を心から信頼してくれる人を、「騙す」しかなかった。ノルマを達成するために商品をセールスし、彼を信頼して快く商品を買ってくれたお客さんの中には、倒産や閉店に追い込まれた人もいたという。彼の心は張り裂け、真っ暗やみの中で苦悩した。

もうたくさんだ。自主廃業を契機に、K君は大好きだった音楽の世界に新天地を求めた。タイミング良くレコード会社の募集があり、それに応じた。後で知ったことだが、K君の応募に、社内では「山一の事件が、いよいようちにまで波及してきた」と大きな話題になったそうだ。

自分の選択に悔いはないとK君。「音楽業界は、確かに収入面では厳しいけど、仕事で自分を信用してくれた人を裏切るようなことはない。むしろ、音楽の世界は、いいことだけが連鎖していきますから」

音楽ライターが、一体、何の役に立つだろうと少々マイナス思考になっていた私は、大事な宝物を見失うところだった。K君の話を聞いて、仕事とは何か、幸福とは何かをしみじみ考えさせられた。

工藤 由美

 
ラバーインダストリー 2009年8月号   2020/12/31 Thu 18:31
バーゲン・ハンターはぐずぐず迷う

モノを買うのは楽しい。モノを安く買うのはもっと楽しい。私はさすらいのバーゲン・ハンター・・・なんだけど、最近、お得な買い物に、少々気後れする。

新宿のデパートは、どこも徒歩(正確には電動車イス)15分圏内ということもあって、週に1,2度、趣味と実益を兼ね、閉店間際のデパ地下めぐりを楽しむ。ものによっては3〜5割安くなるから、それを利用しない手はない!

車イスの私にはバーゲンセール参戦はむずかしい。だから売れ残った割引商品を浚っていくだけのこと。それでも値下げ品のみを買い求める自分を浅ましいと思うだけの慎み深さも遠慮も多少はあったのだが、あるときから考えを変えた。

行きつけのデパ地下のひとつに、友人が遊びに来るときは正規料金で買うこともあるぐらい、すこぶるおいしいカレー屋さんがあるのだが、あるとき閉店直後に店員さんが売れ残ったカレーをビニール袋に入れて処分する現場を目撃してしまった。ああ、もったいない。捨てるぐらいなら、半額でも正々堂々と買うべきだった。

こんな風に多くの食材が販売の現場で日々廃棄されている。品質管理の厳格なデパートであればなおのことだ。であれば、売れ残りの食品を安く手に入れ自分の胃袋に収める行為は、多少は世の中の役に立っていると考えて差支えないだろう。

一方で、安く手に入れながら、こんなでいいのかなと思うことも最近よくある。エコ・ポイント導入前に、冷蔵庫を買い替えた。家庭用としては一番大きなサイズだったので売れ残っていたらしいのだが、約28万の商品をカード新規加入等の特典を利用して17万で購入した。そりゃ私はうはうはだが、ちょっと待てよ、ぬか喜びしていいのだろうか。最近、ファスト・フードならぬファスト・ファッションが若い人の間で人気らしいが、その激安ぶりが一般市場にも急速に広がっているらしく、今朝、TVでGパンが1本980円どころか、5本で10円(100円ではない)という究極の激安衣料店を紹介していた。これって、どうよ!

どういうからくりかわからないが、近頃、モノの値段が壊れていないか。これで作り手に利益が還元されるのか。気がつかなければいけないのは、消費者の多くは、同時に作り手でもあるという事実。つまり、安くものを買う人が増えれば、作り手の給料も減るのである。作り手は消費者でもあるから、給料が減れば消費が落ち込み、安いものしか買えなくなる。そうしてデフレ・スパイラルは加速される。

しかし100年に一度の不況を克服するには、消費マインドを高めないといけないらしく、定額給付金や高速道路料金の過剰割引、エコ・ポイント導入と、未来の日本人につけを残すことが明らかな施策導入で、政府が先頭に立って国民の消費を煽っている。

商売人の知恵はすごいものだなと思ったのは、今、大流行の兆しを見せている下取りセール。モノを捨てることに罪悪感を覚える消費者心理をうまく読んだ戦略だ。問題はそこから先。集められた靴や衣服は、アフリカ等の開発途上国に寄付するのだという。一見、いいことのように思えるが、先進諸国は第3世界を搾取して富を謳歌し、そのあげく、自分たちのお古を「ありがたく思え」と言わんばかりに押し付ける。なんかおかしくない?

本来的には、人は自分が必要なものを必要なだけ持ち、使いきればいいのだ。でも今の日本は、みんなが自分の必要なものだけを買い求め大切に使うようであれば、社会が廻っていかない。ショッピングに行けば、欲望が刺激され、不要なものまでついつい買ってしまう。家に籠ったところで、郵便受けを開ければDMの山、電話に出ればセールスコール、TV、新聞、ネットもCM・広告だらけで、「買え〜」「買え〜」と霊のごとくとりついてくる。

地球の資源や未来のことを考えたなら、消費行動を控え、もっと慎ましく暮らしたほうがいいに決まっている。いったい私たちはどうしたらいいのか。新しいモノをばんばん買って、少しでも古くなったものは片っぱしから処分すべきなのか。なんでも今の若い人たちの中には、厳しいであろう自分の将来に備えて、今からコツコツと貯金に励んでいる人が少なくないと聞いた。豊かな時代に育った彼らは、物欲から解放されているのも一面の真理であろう。

それでもさすらいのバーゲン・ハンターはずぐず迷う。日本を救うためにもっと金を使うべきなのか、それとも地球と自分を救うために、モノとお金を大切にすべきなのか、と。
 
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