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工藤 由美(くどう ゆみ)
1957年10月14日生まれ。仙台市出身。

国際基督教大学卒業後、日本航空(株)に入社。整備訓練部英語教官、日本航空民営化CI(コーポレート・アイデンティティ)プロジェクト事務局、客室本部スケジューラー〜CS(顧客満足)プロジェクトを経て、1994年、同社早期優遇退職者制度にて退社。サラリーマン生活に終止符を打ち、中学時代からの夢だった音楽ライターに華麗なる転身を遂げる。

小学校1年生のときの通信簿に「音楽は好きなようだが、歌わせると音が外れる」と書かれて以来、歌モノ嫌い&筋金入りのインスト派に。オルガン教室、ピアノのお稽古をすべて挫折後、ヴァイオリンに手を出し、校内オーケストラに参加。

中学校に入り、ショッキング・ブルーの<ヴィーナス>で洋楽に目覚め、すぐにロックに傾倒、LPのライナーを始め、ミュージック・ライフ、ニュー・ミュージック・マガジン等を読み漁るようになり、大きくなったら音楽ライターになろうと決意する。

高校時代は仙台のロック喫茶とYAMAHAに入り浸り、高校2年からYAMAHAが主催する輸入版紹介定例フィルムコンサートのDJを始める。

国際基督教大学入学後は、レコード会社や音楽事務所「エリー」でバイトを重ね、ひたすら音楽業界への接近を目指す。

大学4年の春、ひょんなことから野口五郎さんのフュージョン・ツアーに通訳として参加、それがきっかけでデイヴィッド・サンボーンと仲良しになる(そのときのメンバーだったリック・マロッタ、ワディ・ワクテル、トニー・レヴィン、デイヴィッド・スピノザ、ドン・グローニックとはその後も長く親交が続いた)。

そのまま音楽業界へ入るつもりだったが、その年から障害者の雇用に力を入れ出した日本航空の人事部に大学の先輩がいたため、あれよあれよという間に採用が決まる。

サラリーマン生活も始めてみると、それなりに面白く、バリバリのキャリアウーマン目指して夢中で仕事をしているうちに十数年が経過。

そんなときスイート・ベイジル社の尼崎社長と、同社に所属していた俳優の田中健さんと知り合い、意気投合。同社が企画していたNYのジャズ・フェスティバルに日本航空のスポンサーシップを引き出し、何度かNYを往復しているうちに、音楽に再び目覚める。

NYのジャズ・フェスから帰国後、上司のいじめを受け、「えーい、やめてやる」と思ったときに、「退職金2倍、勤続年数期間分国際線・国内線の搭乗優遇」との早期優遇退職制度が会社より提示され、後先考えずに、飛びつく。

辞める前に、ボサ・ノヴァの伝説のベーシスト、ルイゾン・マイヤーのパートナーとなっていた親友の陽子を訪ねて、ブラジルのリオへ。その陽子に、ジャズ・ライフの沢君を紹介され、通訳として仕事をもらうようになる。

そのころから年に数回のニューヨーク/ロサンゼルス通いを始め、取材をしては記事にしてもらうパターンをつくる。やがて、フォープレイのライナーノーツとエスクワイア誌に掲載したデイヴィッド・サンボーンの記事がアドリブの松下編集長の目に留まり、同誌でも執筆を始める。

日本航空を退社するごろから、歩行がかなり厳しくなり、車椅子を利用することが多くなっていたが、やがて車の運転にも支障をきたすようになり、2000年9月、取材に通うことの多い東京ヒルトンまで数分の西新宿に転出。

最近は、以前ほどニューヨークに魅力を感じなくなっているため、出かける回数は減っているが、その分国内や電話による取材が増えている。

国内外を含め、多くの人の御厚意と温情により、車イスに全面的に依存するようになった今も、音楽ライターとして充実した日々を送ることができている。感謝、感謝です。
 

私を取材していただいた過去の新聞記事より(クリックで拡大)
 
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